【徳島旅行記おまけ】ブラタモリ徳島で学んだこと

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徳島旅行する前に、タモさんが徳島に行っていた。

ブラタモリね。

そこで徳島について事前学習したことをメモっておきます。

「吉野川の氾濫で島が多くある。縁起の良い徳をつけて、徳島。」

そういうネーミングだったんだねー。吉野川が良くも悪くも徳島のインフルエンサー。

「路上で踊るしかないから阿波踊りが生まれた。

新町橋が阿波踊りを見せる踊りの舞台となった。

新町と内町で別々の盆踊りを踊っていた。お互いの街の行き来を禁止されていた。

どちらの町でもない橋の上で踊りを見せ合うことになった。周りから見えやすい橋が絶好の舞台になった。」

新町橋行ったね!

徳島駅から眉山につながる目抜き通りにかかっているからね。

そごうのすぐ横です。

「当時の徳島は財力があった。藍。一大産地だった。藍商人が阿波踊りのスポンサー。

藍はコメの二倍の値段で売れた。藩が生産を奨励していた。阿波藍は特によく売れた。」

藍かー。染料ぐらいしかイメージがないよ。

「暴れ川、吉野川では洪水のたびに上流から良質の土が運ばれてくる。

藍は土の養分を吸い取ってしまうため。良質な藍が栽培できた。

藍商人が花街で遊び、盆踊りの歌が歌われていた。藍商人により全く違うものに生まれ変わっていった。」

藍、儲かっていたんだね。花街って銀座通りのあたりだったのかな。

「肥後の牛深ハイヤ節を調子を変え、大阪の砂持の歌詞をつけた。

阿波藍の販路に熊本があった。そこで聞いた歌を持ち帰った。

明治の終わりに藍産業は衰退。その時観光業で復興を目指した。」

阿波踊りに歌の独特の節はこうやってできたんだって。

「四宮かよさんが阿波踊りのレジェンド。1983年に開発した。指先を尖らせ、傘も尖って、足をあげる。」

これが一番びっくり。

阿波踊りは意外と歴史が浅かったんだね。

四宮さんナイスジョブだね。今の踊りがかっこいいと思う。

 

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